『忠臣蔵』と『勧進帳』

歌舞伎の『勧進帳』は、都を追われた源義経一行が、東大寺勧進の山伏に変装し奥州平泉を目指す途中、安宅の関守・富樫左衛門に見咎められ、本物の山伏なら所持しているはずの勧進帳を見せろと迫られると、機転を利かした弁慶が、たまたま笈の中にあった巻物を取り出し、あたかも勧進帳であるかのように声高らかに読み上げる一方、富樫は彼らが義経一行であることを見破りながら、弁慶の心中を察し騙された振りをして、通行を許可するという話です。省三はこの「あたかも…のように」という「見え」「見かけ」をテーマとした『勧進帳』が大好きだったそうで、「省三の生き方自体にもいたるところにこの勧進帳的な心意気がみられる」(『カツドウ屋一代』62頁)と雅弘は言います。
省三は、尾上松之助と市川姉蔵の共演で『忠臣蔵』を撮ることになった際、この『勧進帳』のシチュエーションを使い、関守の富樫に相当する立花左近という役を作り出します。弁慶に当たる内蔵助が東下りのとき、九条家用人立花左近に化けて旅をしていると、本物の立花左近に出くわしてしまう。本物と相対した大石は、自分こそ立花左近であると譲らず、証拠の通行手形と言ってただの白紙を左近に手渡す。紋どころで相手が大石であることを知った左近は、大石の心中を察し、渡された白紙を正真正銘の通行手形であると認め、実は自分は偽の立花左近であると許しを乞い、所持していた本物の通行手形を偽造品として大石に与えます。真と偽の二人の立花左近が対面し、真が偽の、偽が真の仮面を被る。この本物と偽物、実物と複製、オリジナルとコピーの立場の逆転というテーマは、姉蔵、松之助という「両雄を並び立たせようと知恵をしぼった省三のプロデューサー的才覚が生んだ」もの(『カツドウ屋一代』93頁)と言う以上に、『勧進帳』の「見え」の演劇的世界を我がものとして生きていた省三だからこそ可能となった、複製技術の芸術としての映画にとって本質的なテーマと思えます。
雅弘は、「父の十年記念の作品として」日活多摩川の根岸所長から『忠臣蔵』製作を任せられたとき、前篇『天の巻』を自身で監督し、後編『地の巻』をやはりマキノ出身で、すでに尾上松之助と何本も『忠臣蔵』を撮っている池田富保に委ねます。浅野内匠頭には、省三の『実録忠臣蔵』で内匠頭を演らせてもらえなかったことを恨みマキノプロから独立した片岡知恵蔵。注目すべきなのは、この内匠頭役の知恵蔵が後篇でも立花左近として再登場することです。知恵蔵の出番を増やして、大石役の阪妻と並び立たせるための策とも言えますが、この効果は非常に大きい。江戸幕府が現代劇を禁じていたため背景を『太平記』の世界に移した『仮名手本忠臣蔵』では浅野内匠頭は塩冶判官ですが、その名は『勧進帳』の判官義経を想起させます。すなわち、前篇で切腹した内匠頭が、東下りの大石一行に通行手形という恩恵を与える立花左近として再登場するこのシーンは、あたかも内匠頭の霊が立花として回帰して大石と対面しているかのような印象を与えると同時に、大石=弁慶が主君、判官義経と相対しているかのようにも見えます。しかも、その効果を狙ってか池永はこの対面シーンに『勧進帳』の長唄を流し、緊迫感を高めるのに成功している。つまり、ここでは『忠臣蔵』と『勧進帳』が二重映しとなって、省三本来の発想を音楽と映像の両面でより明確に際立たせています。この池永の演出にどれほど雅弘の意向が反映しているかはわからないのですが、『次郎長三国志』の浪曲や御詠歌の使い方を見ると、雅弘のセンスがかなり色濃く出ているような気がしてなりません。