ハリウッド版『勧進帳』

勧進帳』のテーマはもちろん日本に限ったものではありません。日本公開は戦後(1946)でしたが、マキノ・池永の『忠臣蔵』の前年に撮られたルビッチの『天使』(1937)にもそれは見られます。ディートリッヒ演じるヒロイン・マリアは、仕事の虫で妻を構わない夫のバーカー卿への不満から、アヴァンチュールを求める男女が集まるパリのサロンで素性を明かさぬまま偶然に夫の旧友ホルトンと出会い互いに魅かれます。名前も知らない彼女を「エンジェル」と呼び忘れられないホルトンが、バーカーの招待で家を訪れ二人は再会しますが、「エンジェル」と自分は別人であるとマリアは言い張り、一方、家庭を守ろうとするマリアの気持ちを察したホルトンは、確かに外見はよく似ているが別人であると、あたかも初対面であるかのように振舞います。パリの思い出の曲をうっかりピアノで弾いたマリアが夫に問われ自分の作曲と誤魔化したその旋律が、ホルトンに電話した受話器の向こうから流れてくるのを聴き、「エンジェル」=マリアと悟ったバーカーは、みずからパリのサロンへ赴き、居合わせたマリアを問い詰めますが、彼女は「エンジェル」は別人であり、隣室にいるのだとあくまで主張します。「エンジェル」の存在を確かめて自分と別れるか、「エンジェル」=マリアとの疑いは残っても夫婦関係を保つかとの二者択一を迫るマリアを置いて隣室に入ったバーカーは、妻のもとへ戻ると、確かに「エンジェル」はいたと、あたかも隣室で「エンジェル」に会ったかのように振舞うことで、二人の関係修復を願います。相手の演技に演技で応えるまさにハリウッド版『勧進帳』です。マキノの『長谷川・ロッパの家光と彦左』(1941)もまた、徳川家光があまりに名君であるため大久保彦左衛門に出る幕がなく元気がないのを気遣う家光が、わざと愚君の振りをして騒動を演じ、一方の彦左もまたそれが演技であると気がつきながら、家光の気持ちを察し、あえて諫め役を演じるという『勧進帳』物です。本当に家光暗殺の危機が迫ってもロッパの彦左はずっとお芝居と思い込んだままというオチがつきます。1943年にはマキノは『勧進帳』をそのまま映画化しており、やはり父譲りの『勧進帳』好きだったようです。