『遭難フリーター』

岩淵弘樹の『遭難フリーター』は、お金がなくて泊まることもできず、雨降る夜に高円寺から平和島の海をめざして、ひたすら歩き続けるラストシーンが素晴らしかった。暗闇に見える「関係者以外立入禁止」の看板によって、海に至ることさえできないにしても、海をめざす確かな意志が、その歩行をいかなる服従も拒否する抵抗の身振りとしていました。東北出身という以外、世代も環境もまったく異なる詩人・黒田喜夫の詩の風景となぜか重なってくるのが不思議です。
「 昼ごろ、お袋の隙をみて外にでる。大師線のり塩浜駅でおりた。新突堤にむかう。駅から六郷堤防にでて河口まで行こうとしたが、まもなく堤がきれ湿地にはばまれた。流れてついている塵の山と一群の葦をしばらく見た。葦のむこうに黒い水のラインがあり、おれは手にもった稲束をここで流そうとしたが、思い返して湿地に踏みこんでいった。/(もっと開けたところへ。海へ)/ だが湿地をこえると埋立地になり、あるいてもあるいても海は見えてこない。あるきつづけて自動車工場の裏らしいところにでてしまった。/  あとで思うと「いすゞ自動車」の裏だった。埋立てあとの一種の砂丘がつらなり、息をきらしてゆくと、不意に二重の有刺鉄線とトーチカ型の守衛所の建物が目前に現れたのだ。有刺鉄線のなかには、数十の車台だけのトラックやジープが並んでいる。その車群の暗緑にぬられた色や、守衛所の屋根の巨大な回転灯の眼球を眺めているうち、例日の意識のポケットにおちてしまった。われを忘れた。気がつくと、おれは砂丘にそってひっしに這っていた。這っていて止まらないのだ。止まらない。そして傍らにおれと並んで同志Sも這っていた」(黒田喜夫「地中の武器」より)