『小さな逃亡者』

 「もし若きアメリカ人モリス・エンゲル(Morris Engel) がその美しい映画『小さな逃亡者』でわれわれに道を示してくれなかったら、ヌーヴェル・ヴァーグは起こらなかっただろう。」とトリュフォーに言わしめ、『大人は判ってくれない』の誕生に大きく貢献した『小さな逃亡者』(1953)がフランスでニュープリントで蘇り、人気を博しています。
 母子家庭の兄弟レニとジョーイは、母親が実家に看病に行っている二日間を二人だけで過ごします。レニは小さなジョーイが遊びについてくるのを追い払おうと、友達と共謀してテレビの西部劇を真似、ジョーイの撃った弾にあたって死んだ振りをします。兄の演技を真に受けたジョーイは、警察に捕まるのを恐れ、一人家を抜け出し電車に乗り、いつの間にかコニー・アイランドに着いてしまいます。アントワーヌ・ドワネルように、コニー・アイランドの遊園地で思う存分遊ぶジョーイをキャメラは見つめます。回転木馬での輪取り遊び、回転する綿菓子作り器、回転ドラムカンくぐり、ポニーでの円形トラック走といった円環運動の反復は、『カメラを持った男』や『伯林交響曲』など機械の円環運動を捉えた20年代ドキュメンタリー映画を連想させます。玉投げを上手く当てられないジョーイは、食べ終わったスイカの皮を折って投球練習して再挑戦、綿菓子を丸めたボールで投球練習して再挑戦、マジック・ミラーで投球フォームを確かめて再挑戦というように、反復によって映画は構成されてゆきます。ポニー乗りが気に入ると、飽きずに何度も繰り返し、お金を使い果たすと、ビーチで瓶集めをしてお金を稼いで、また再挑戦。ジョーイが逃亡するきっかけが、兄の死んだ振りだったように、振りをすること、演じることも、この作品を貫くテーマの一つです。ポニー場のおじさんとジョーイは牛を捕まえるカウボーイの演技を通じて仲良くなり、幼いジョーイが一人なのを不審に思ったおじさんは、ジョーイを雇う演技をして名前と住所を聞き出します。なんとか母の帰宅時間までに無事ジョーイを連れて帰ったレニは、あたかも何もなかったかのように振る舞います。
 なによりも美しいのは、コニー・アイランドの海辺の風景です。お金を使い果たしたジョーイが、海へ続く木橋の下に佇むシーンでは、木橋の隙間から漏れ入る陽光と影が砂の上にストライプの模様となって画面奥へと続きます。早朝、木橋の下で目を覚ましたジョーイが、人気のない波打ち際を朝日のなか歩くのを捉えたロングショットは、『大人は判ってくれない』のラストシーンを想起させます。夕立が降ってビーチにいた人々が一斉に雨宿りに走り、無人となった海辺に点在するゴミ箱が全景で捉えられ、取り残された様々な道具が雨に打たれる様子が映し出されるとき、物の確かな存在感が伝わってきます。その物たちの間を歩きながら相変わらず瓶集めを続けるジョーイをやはりロングで捉えたシーンは、この上なく美しく感動的です。