儀式の人モンテイロ

モンテイロは『神のコメディー』の主人公についてこう言います。「神ジョアンは儀式の人です。彼のエロティシズム趣味はそこから由来しています。エロス的関係を成就するには時間が必要です。だからこそどのショットもあれほど長く続くのです、さもなければ何も感じられないからです。(…)物事を遅延させることを知らねばなりません。」「神ジョアン」は、意味を欠いた愛の儀式をゆったりと時間をかけておこないながら、その機械的な儀式性の内に偶然としての映画が到来するのを注意深く待ち受けます。「映画とは、到来するものです。そのために開かれ、待ち受け、様々な事柄が生起するよう空きをもつことが必要です。マントルピースに舞い降りた二匹の鳩のように、素晴らしい偶然がありました。バルザックは言っています――偶然はけっして愚者のもとを訪れない。」(ミシェル・シマンによるインタビュー、POSITIF、1996年3月)