『閉ざされた谷』

『閉ざされた谷』においてジャン=クロード・ルソーは、ルクレチウス同様、世界を原子の運動として表象しようとします。地球という巨大な原子の自転、公転が引き起こす昼と夜、春夏秋冬の推移は、原子の運動の円環性と反復性を指示し、それは回転する水車、遊園地の遊具のイメージ、さらにナレーションの同語反復へと繋がります。人間同士の出会い、結合、分離も、原子の運動に等しいものと捉えるルソーの物体主義には、ブレッソン唯物論の影響があるのかもしれません。原子の運動として人が集まり、また散ってゆく、存在と不在の風景のコントラストには、小津映画の記憶も重なります。突然鳴り響く電話の呼鈴は、他の原子からの接触の合図であり、電話は原子同士の出会いと衝突、誤解とすれ違いをもたらす媒体として機能します。音声と視覚の不一致と小津的な空間繋ぎによって生じる空間の断片化が、源泉から虚無に投げ出された無数の原子の運動、他の原子との相互作用において彷徨するその流れの多様性を暗示します。ソルグ川の流れとコントラストをなす室内の静止画も、実は光、風、鳥の鳴き声として入り込む未結合の原子に充たされており、窓とドアによってたえず外へと開かれ、他の原子との結合、分離を繰り返しながら物語(フィクション)を紡いでゆく原子の運動を示しています。