『怪人マブゼ博士』

フリッツ・ラングのサイレントからトーキーへの移行期の作品『怪人マブゼ博士』(1932)では、ドアとともに特に窓が重要な役割を果たしています。まず、敵のアジトに忍び込んだホーフマイスターが、ドアの前で聞き耳を立て、振り返ると天窓が捉えられます。ローマン警部の執務室には大きな窓があり、窓辺には植物の鉢が並んでいます。失踪したホーフマイスターの部屋のブラインドの下ろされた窓ガラスには、彼がローマンへのメッセージとして残したMabuseの名前が鏡文字で刻まれており、窓のない鑑識室へ運ばれるこの窓ガラスは、これを覗くローマンの顔を鏡のように映し出します。とりわけ重要なのは、ケントとリリーの出会いが窓によって媒介されていることです。職業安定所で初めてケントとリリーが言葉を交わすのも廊下の窓の前、一年後に二人がカフェで話すのも窓の前、またケントの部屋には大きな窓があって、ローマンの執務室同様、植物の鉢が置かれています。リリーはこの窓を見て、「大きな窓のある部屋が好きよ」と言い、この窓の前で二人は初めて抱擁します。窓のある空間は、直後に二人が閉じ込められるマブゼの指令室の金庫のように密閉された空間、あるいは「今は邪魔されたくない」という録音された声の繰り返しによって、訪問者に対してほとんど閉じられたままのバウム教授の執務室や、警察と銃撃戦になっても脱出口がない宝石鑑定士の部屋の閉塞性とコントラストをなしています。つまり、『怪人マブゼ博士』は、窓の力によってマブゼの閉塞性の呪縛が破られる物語と言えるのかもしれません。マブゼは何よりも眼によって呪縛する者、その眼力によって相手の無意識に文字を書き込み操る者としてあります。マブゼが、最初にバウム教授によってスライドという声を欠いた視覚的装置によって映写されること、また、分身としてのバウム教授を見出した後おのれの肉体的存在に終止符を打ったマブゼが、遍在する眼(仮面の眼、髑髏の眼、表現主義的絵画の眼)となってバウム教授を取り囲んでいることからも、マブゼが視覚的存在であることが伺えます。呪縛する眼としてのマブゼは、自分が書いた文字を指令として伝達する声を必要とします。つまり、バウム教授は、マブゼによって書き込まれた文字を声として反復するエコーのようなものです。だから、彼が指令を発する時には、身体性を欠いた声だけの存在としてあればすむのであって、なおかつ、マブゼの遍在する眼によって部下の態度を見て取ることもできるのでしょう。このバウム教授の指令する声が、カーテンの裏の拡声器をとおして、あるいは、ドアの背後の録音機によって再生され、つまり、機械によるコピーとして聞こえてくるのは、マブゼによって操作されるバウム教授の自動人形性とともに、それがもともとマブゼの手記の再生・コピーにほかならないからでしょう。冒頭、敵のアジトに響く機械の轟音やクラム博士殺害の際に鳴らされるクラクションの合奏のように、マブゼの地下世界は、機械的反復のリズムによって構成されています。そして、それ打ち破るものとして、ローマンやケントの窓辺で陽光を浴びて育つ植物の力が対置されているようです。自分の指令で部下が動くのを舞台監督のように演劇的に眺めるという点でローマンとマブゼは共通していますが、その演劇的視点を示すかのようにローマンが、「今日こそ芝居の第一幕に間に合うぞ!」と語る直前、敵のアジトの外へ出たホーフマイスターに向かって敵のドラム缶が転がり爆発・炎上すると、暗転した画面に「おいおい、炎の魔術だよ!」と言うローマンの声が重なります。この声は、ラストの化学工場炎上シーンをも暗示しながら、マブゼの「炎の魔術」としてのこの物語の口上となっているのでしょうが、マブゼに対抗するローマンの窓辺の太陽の「魔術」とも読めるのではないでしょうか。