中原中也

鷲巣繁雄の『呪法と変容』から中原中也について…(続き)。
「ひとは彼の詩が「思い出」によって充たされている事に気づくであろう。しかし、この「思い出」は、我々が通常言う、記憶の彼方からやって来る過去の風景が単なる慰め手として登場するのとは異なっている。「現存」が思い出であり、リアリティそのものが思い出なのである。その不安が常に彼の自意識を旋回しているのである。」*1
中也にとっては、今ここで、「現存」そのものを「思い出」として体感することが詩人の義務であるようです。「それよ、私は私が感じ得なかったことのために、/罰せられて、死は来るものと思ふゆゑ。/ああ、その時私の仰向かんことを!/せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!」(「羊の歌」)。「ゆうがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。」(「いのちの声」)。この「現存」の「思い出」は、「不条理なもの」としての「幼児や少年」に結びついています。
「幼児や少年が彼の詩の中心となるのは、不条理なものからやって来る黄金の時の担い手として幼児や少年があるからである。そこには自然の営みの果実として嬰児があるのでなく、嬰児や少年というものが不条理な恩寵として存在しているからである。いや、それが不条理と言えるのは、それが突然この世から姿を消して了うからでもある。あたかも幼児たちは人間存在の持続のために捧げられる“無垢なるもの”の殺戮、幼神供犠として現れるのである。中原の詩が始終江戸子守唄の節調に蔽われているのは、それが感性的なノスタルジイに止まらず、不条理なるものへの飽くなき問い、更には魂のふるさとへの志向という多少グノースティックな想念に揺すられているからでもある。」*2

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