中原中也(2)

中原中也は、自分が無の眼差しに見つめられているという意識を詩の出発点としていた人です。「草の根の匂ひが静かに鼻にくる、/畑の土がいっしょに私を見てゐる。」(「黄昏」)、「野原に突出た山ノ端の松が、私を看守つてゐるだろう。/それはあつさりしてても笑はない、叔父さんのやうであるだろう。」(「ためいき」)、「ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光ってゐる。」(同)、「相当ぶきみな、煙突でさえ/今ぢやどうさへ、手出しも出来ず/この厖大な、古強者が/時々恨む、その眼は怖い」(「思ひ出」)。
この父性的な無の眼差しに見つめられながらも、『山羊の歌』においては、「せめて死の時には、/あの女が私の上に胸を披いてくれるでしょうか。」(「盲目の秋」)と、なお生の閾の側に止まって歌っていた中原が、第二詩集『在りし日の歌』以降には、これにほとんど取って替わる死児の眼差しの出現とともに、自身も死の側から生を「思い出」として見つめる視線を獲得してゆくようです。「菜の花畑で眠ってゐるのは…/菜の花畑で吹かれてゐるのは…/赤ン坊ではないでせうか?//いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です/ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です/菜の花畑に眠ってゐるのは、赤ン坊ですけど」(「春と赤ン坊」)という「江戸子守唄」的な詩も、鷲巣が言うように、死の側からの幻視として読まれるべきものでしょう。