ベンヤミンとブレヒト

ロッセリーニの『火刑台上のジャンヌ・ダルク』で、死後もジャンヌの耳に残り苦しめたのは、裁判を記録する書記のペンが羊皮紙を擦る音でした。その裁判記録が天使によって書かれた一冊の書物へと変容し、天上から響く声に充たされるとき、ジャンヌを焼く炎は、地上の束縛から彼女を解き放つ聖なる火となり、救済をもたらします。あるいは、パラジャーノフの『ざくろの色』で、詩人の人生は絨毯模様のような平面図へと織られてゆき、一冊の書物として纏められ時間を越えた永続性を与えられます。人生をこのような一冊の書物として見るということに関して、ベンヤミンカフカの『隣り村』をめぐるブレヒトとの対話で次のように言います。
「人生の真の尺度は回想なのだ。それは後を振り返りながら、人生を稲妻のように走り抜ける。読みかけた本を数頁前に戻ってみるようにすばやく、回想は隣り村から、乗り手が出かけようと決心した場所に飛んでくる。古代人のように、人生が書かれた文字に変容しているのを感じることができる人々なら、ここに記された事柄を逆に辿ったらよい。そうすることによってのみ、彼らは自分自身にめぐり会う、そうすることによってのみ、彼らは―現在から逃れながら―この物語を理解することができるのだ。」*1
「人生が書かれた文字に変容しているのを感じること」という回想形式をとおしてベンヤミンは、ブレヒトの「叙事的演劇」を意識しながら、バロックアレゴリー劇について語っているように思います。

*1:ブレヒトとの対話」、『ヴァルター・ベンヤミン著作集9』所収、川村二郎訳、晶文社、1971。