『インディア・ソング』

「音節を均等化し、故意の個人的効果はすべて除去することをめざす読書訓練を、君のモデルたちに課せ。
 一律で規則的なものとなったテクスト。ほとんど感知しがたい減速と加速とによって、また、くすんだ声と艶のある声とによって獲得される、誰にも気づかれずに過ぎてゆく表現。音色と速度(音色(タンブル)=証印、スタンプ)。」*1

「私はあなたの特定のテクストを口にする仕方を話題にしたいのだけど。それが私たち俳優にもたらしたのは、通常とは別に、異なった仕方で、つまり心理を取り去って、生き、語り、発声し、すなわち演じるという仕方だ。(…)あなたはこう言うことのできた最初の人だと思う、「心理を演じてはならない」。(…)だけど、言わせてもらえば、それでも私は感情にもとづいてああしたわけだし、「平板に」やったわけじゃない。それが心理かそうではないか、私にはわからない、だけど…あなたならこの違いがわかると思う。心理という語を使う場合は、ある状態をあらかじめ準備して、それから言葉を発する。あの場合は、新しい経験で、まず言葉を口にする、するとたぶん、その後で何かを感じたり感じなかったりした。(…)そうなんだ、副領事には感情が備わっていなかったなんて言えないわけだから。(…)というのもそこにあったのは、私に言わせれば、世界を拒絶する方途、世界や、自分自身や、不幸や、人類の「耐エガタキモノ」を拒絶する方途だった――そして、おそらく泣くという欲求はその帰結とも言えるだろう、しかし、私はそれを心理学的な仕方では扱わないようにした…。(…)だから、なまの状態を演じてみるようにした。思い出とかそういったものからやるのではなく。叫び、あの有名な叫びは、どこからかわからないけど、そうして生まれた。私は自分に言い聞かせた、「叫ばなくてはならない、突然、理由もなく、喚かなければならない。」*2

*1:ブレッソン、『シネマトグラフ覚書』(松浦寿輝訳)

*2:ミシェル・ロンスダール、『インディア・ソング』の副領事役について、『デュラス、映画を語る』(岡村民夫訳)より