デリダ『絵葉書』

ジャック・デリダ『絵葉書Ⅰ』(若森栄樹・大西雅一郎訳、2007、水声社)より
「1977年6月9日
君に手紙を書くために遠ざかること。もし今、私が君にいつも同じ絵葉書を送るとすれば、それは私ができることなら死にたいからだ、死んで、ついに、場所といえるただひとつの場所に、そして、縁どられて、ただひとつの語、ただひとつの名のなかに封じ込められたいからだ。そのときには、ただひとつのイマージュが、不動のまま横たわる私の体を占めるだろう、そしてゆっくりと/君が私に送ってくれたらしいもの/今や君には分かっている、どのような破局、どのような災厄から、ひとつの名の谺のなかに閉じ込められたい、たったひとつの名、ひとつのイマージュの歌に合わせてこめかみが拍動を打つままにしておきたいという、死に至るまでの欲望が生まれるかを。イマージュと名は同じものだ。君が私にそれを与えた、だが私は君がそこにおいて「〜なしに(sans)」を私から受け取ってほしいと願っている。
1977年6月10日
(…)私の印象は、私が追っている=私がそうである絵葉書においては、すべては互いに似ているということだ――絵葉書である私をはじめとして。それしかない、あの複製の複製しか、それによって私は死にそうになり、当惑させられ、私の生ける女性よ、君をひとつの禁止としてしまう(…)
1977年9月9日
すべては再び絵葉書になればいい、彼らは私から絵葉書しかもつことはないだろう、けっして本当の手紙はもたない、それは唯一、君にだけ特別に委ねられたものだ、君の名にではなく(だいたい君は、今や、あまりに多くの名をもっている、それらはあらゆる人の口に上っている)、君に。生きた女性である君に。
1977年9月25日
自分自身にしか、と君は続けて言うかもしれない、結局、私はこれらすべての絵葉書を、ソクラテスプラトーを、彼らが互いを送り合っているように、自分へと送っているだけだ、と。ちがう、まったくそうではない、回帰はない、それは私へと回帰しない。私は、彼らの言い方を用いれば、差出人、発信者としての同一性まで失う。ところが、私ほど送り宛てることを、ただそのことだけを、知っているというより、愛している人間はいないだろう。それが災厄ということだ、ただそれだけを起点にして私は君を愛する。君を、君のほうへと、今この瞬間、君の名にいたるまですべてを忘却しながら、私は自分を差し送っている。/じゃあまた、すぐにね、とわにね、/通りの角でこの手紙を投函するために出かける、私はこの手紙にもう一度デュポンとデュポン(『タンタンの冒険』に登場する双子の刑事)を滑り込ませる(…)彼らが二人だと思い込まないでほしい。君が必要な注意を払うなら、私たちと同じように、彼らは密かに似ている、彼らは互いに自分を送りあう――(…)
1979年3月‐4月
(…)私は語だけを載せることにした、図像はひとつも載せない、オックスフォードの絵葉書以外には。他にどうすることができただろう、他のすべての絵葉書を、フィルムを、カセットを、絵が描いてあるこの皮膚のかけらを?絵葉書という耐え難い=支持不可能な画紙=支持体だけが残るように、私はすべての画紙=支持体を燃やす、そして純粋に言葉だけから成るいくつかのカットしか取っておかない。
1979年6月23日
午後に開かれたペーター・ソンディに捧げられたシンポジウムの後のことだ。そこではもっぱらツェランが話題となった。ツェラン夫人も出席していた。彼女は異国の名をもっている。私は彼女とは面識がなく、ほとんど言葉も交わさぬまま挨拶した。彼が私たちのあいだにいた。この二つの自殺(1970年パウル・ツェラン、1971年ペーター・ソンディ)(二つの溺死でもある、私が何の話をしているかわかるね)と二つの友愛(彼らのあいだでの、また私たちのあいだでの)について、私はまだ十分に説明できているわけではない。今の私にとって、彼らはひとつのカップルをなしている、私に対して、そして、私とともに。私たちの数少ない沈黙がちの出会いの背後で起きたことは、私には未だに思考しえないものであり続けている、今では他の人たちが、フランスでもドイツでも、あたかも読み終えた以上、事情が分かっているかのように、その話をしつこいほど私にするのだが。発言を求められたとき、震える声で、いくつかの語を思い切って口にした、私はツェランの名を、拒みつつ、発音した。同様に、省略がちに、私は「キオスク」の文学と「金庫」の文学のあいだの対立(…)に対する私の留保を述べた。いきなり開いてすらすら読める文学(…)と、もっとも鎖された地下埋葬室(のような文学)のあいだで、選択する必要など全然ない。それは同じ――耐え難い=支持不可能な画紙=支持体なのだ。私は、「絵葉書のように」と言う勇気はなかった、そのためには、あまりにも敬虔な雰囲気だった。(…)
1979年8月19日
(…)そして、火の後、君がもう戻ってこなくなっても、私は君に白地のままの、無言の絵葉書を送り続けるだろう、君はそこに私たちの旅行の思い出も私たちの口癖も認めることさえないだろう、しかし君は、私が君に忠実であることを知るだろう。あらゆる様態の、あらゆるジャンルの忠実さ、私は君のためにそれらを使い尽くすだろう。
1979年8月21日
(…)もう一度言うけれど、私が取っておくのは、私たちの映画の非常に短いワンカット、しかもその映画のコピー、コピーのコピー、黒くて薄いフィルム、ほとんどヴェールの役割さえ果たさないものだけだ。」